現代台湾華語の形成と日本語の影響

日本語を勉強して以来、色々な台湾人から日本語学習の時の便利さやよく出てくる問題を聞いている。台湾人にとって、日本語というのは一番習いやすい言語だろう。昔50年間、台湾は日本によって統治されていたので、台湾人にとって日本語というのは言うまでもなく一番理解しやすく、親しみやすい言語だと思う。しかも、漢字の書き方と形は殆ど同じだし、台湾語にある中国閩南語との発音が似ているので、私はいつも台湾で使われている現代言語と日本語の関係と影響を調べたいと思っていた。

1、現代台湾華語とは(定義)

このレポートで討論したい現代台湾華語というのは、台湾で使われている台湾閩南語ではなく台湾人が話している台湾の中国語、あるいは台湾華語という言語である。どうしてそう定義したかというと、実は台湾人が使っている中国語の中身と皆がよく知っている中国の「普通話」(北京語)は大きく違っているからである。台湾人の話し方、使っている言葉と文の特徴は特別で、他の華語圏の人たちが聞いたらすぐ区別できるのである。ある時期、台湾弁の中国語は中国や香港で流行っていたことがある、今でも、台湾華語は標準中国語のひとつの変種として色々な研究が行われてきた。

現代台湾華語は昔から色々な影響を受けた故に、今や中国で使われている中国語とはかなりの違いがある。台湾人と中国人は話す時、相互に理解することができるが、普通話と比べてr化音や軽声の使用比率が低い。そして、台湾では、閩南語、客家語、日本統治時代に教育を受けていた日本語の影響が国語にも現れている例もある。簡単に言ったら、発音、声調、語彙は三つの違う特徴である。

台湾では発音を記録と学習記号は注音符號で、中国では漢語拼音というシステムを使っている。その上、皆もよく知っているのは台湾と中国の漢字は大きく違っている。台湾で使われている繁体字は一番伝統的な感じとされていて、一方で、中国の簡体字は意味ではなく、形さえも省略されているので、全然違う書きシステムと言っても過言ではないと思う。

❶発音の違い:一番よく言われている違いはそり舌音があまり使われていないことである。

 

(1)母音:

ㄅ(b)、ㄆ(p)、ㄇ(m)、ㄈ(f)の後ろにくるのはㄥ(eng)の時。

例:(碰)中国の発音→(pèng);台湾の発音→(pòng)

(2)子音:

f → h 例:飯 fàn → huàn

zh (ㄓ) → z (ㄗ) 例:中 zhōng → zōng

ch (ㄔ) → c (ㄘ) 例:吃 chī → cī

sh (ㄕ) → s (ㄙ) 例:是 shì → sì

r (ㄖ) → z (ㄗ)/l (ㄌ) 例:日本人 Rìběnrén → Zìběnlén

❷語彙の違い:

例:”タクシー” 普通話…出租(汽)车 chūzū(qì)chē 国語…計程車 jìchéngchē

”ケイ素” 普通話…硅 guī 国語…矽 xì

”いろいろミックスの” 普通話…什锦 shíjǐn、混合 hùnhé 国語…綜合 zōnghé

”バス” 普通話…公交车 gōngjiāochē、公共汽车 gōnggòngqìchē 国語…公車 gōngchē

❸声調の違い:声調の違い

例:寂 ”(静)寂” 普通話…jì 国語…jí

        錫 ”錫” 普通話…xī 国語…xí

        偽 ”偽りの” 普通話…wěi 国語…wèi

2、台湾閩南語の起源と1945年前台湾で使用されている言語概要

最新のの発見によると、5000年前、台湾島には米が作れる人類はいたとされている。よって、中国からの移民が台湾へ移住する前、台湾島には色々な違う先住民族が住んでいた。そしてスペイン人とオランダ人もそれぞれ台湾の一部を統治していた。当時、オランダ人は先住民族と交流や、契約を結ぶために、古オランダ語の発音、ローマ字で先住民族の言語を記録していた。当時、台湾で流通していた言語は中国語以外にも色んな言語があった。

17世紀以降、中国の福建省南部の人は台湾に次々に移住していた。それらの人たちの母語は閩南語であり、少しアクセントは違っていたけれど、ほぼ同じであった。その時、同じ中国から移民した客家人と台湾の先住民らも自分たちの言語を話していたが、台湾島に住んでいる人たちで最も使われている言語は閩南語であった。時間を経つに連れて、台湾の各地域の閩南語が変化し始め、異なった弁が生まれた。一番よく言われている例では、台湾東北部の宜蘭県の宜蘭弁がある。この時期では、台湾で使われている閩南語と本来の中国の閩南語の区別はまだ小さく、殆ど同じであった。

また、オランダ人や先住民族との交流のお陰で、オランダ語や台湾先住民族の平埔族の語彙の音や意味が取り入れられた。例えば、台湾の土地面積の単位は「甲」(Kah)である。実はこれは元々オランダの土地単位の一つであり、大体2934.027 778坪と同じ広さである。坪は日本の面積単位で、中国大陸ではこの単位を使わない。更に、今でも台湾人の日常生活でよく使われている自分の配偶者を指す言葉、「牽手」は、実はシラヤ族の語彙から由来し、自分の妻という意味である。

3、台湾の日本植民時代の言語政策

1895年、日本は台湾を統治し始めた。台湾は日本の最初の植民地として、各方面の新しい政策が実施された。まず、台湾人をいち早く管理できるために、日本総督府が成立された翌日、学務部を設立した。その時の学務部長伊澤修二氏は、「台湾の教育は、まず新しいの人民を早く日本語を話せるようにさせるべきだ。」と述べた。そのため、種類の学校を設立し、日本語教育をした。その三種類の学校は、日本人(内地人)向けの小学校、人向けの公学校、そして先住民向けの番人公學校がある。

日本が台湾を統治する50年間、言語政策では三つの階段が見られる。1898年から、6年制の公学校で日本語を教え始めた。しかし、この頃の日本語はただ漢文以外の一つの第二言語に過ぎない科目であった。その前、台湾にはという伝統的な中国式の学校があり、そこではいつも台湾の閩南語で教えられていた。そして当時、台湾人が使っている台湾の閩南語は、すでに日本政府に「台湾語」と呼ばれていた。ちなみに、統治しやすくするために、総督府は台湾語の調査をし、《日台大辞典》を出版した。

.第一段階:台湾語で漢文を教え、日本語は個別で教える

.第二段階:台湾語と日本語で一緒に日本語を教え、漢文の文言文は以前と同様、台湾語で教える。

.第三段階:全日本語教育、台語は禁止され,漢文の文言文も日本語で教える。

日本政府に派遣された軍隊が台湾に上陸した時、台湾の先住民族から激しく反発されたので、漢人より先住民族に対して更なる計画的な日本語教育を行った。そのため、先住民が日本語を話せる比率は高い。一方、学校の日本語教育が進んでいたけれど、それは教室のみの言語であった、大部分の台湾人は日本語が話せるが、日常生活では殆ど台湾語(台湾閩南語)で話していた。1937年、戦争の関係で、台湾は日本内地の延長とされ、学校の漢文科を廃止する同時に、日本語を全面的に普及した。しかし当時、台湾人で日本語ができる人は僅か51%、だが、1944年という日本敗戦のわずか前、台湾人全員の71%に達した。

その50年間、台湾の社会は巨大な進歩を遂げた。日本の統治を通して、最新の西洋の知識、技術、風潮などが輸入され、急速に台湾は文化開化の社会になった。その原因で、台湾閩南語にある近代以降に生まれた物事の名前や表現は、殆ど日本語とは同じである。それらの語彙は三つの種類がある。(1)台湾語で発音する語彙、例:便當(piān-tong)弁当;(2)日本語のまま発音する語彙、例:壽司(sú-sih)寿司;(3)日本語を経由して伝わった外来語、例:甜不辣/天婦羅(thiân-pú-lah)天ぷら。そして、特に注意して欲しいのは、現在では、以上の三つの種類の言葉は台湾華語で発音することが多いです。

4、1945年後台湾の国家言語政策

 1945年中国の国民党政権は台湾を占領し、脱日本化を進めるためにために、北京語を基づいた国語を普及させ始めた。当初は台湾閩南語などの国語以外の「方言」を土台として国語が普及されたが、次第に方言に対して抑圧的な政策が実施されるようになった。学校はその政策を推進する重要な場であり、もし学校で台湾閩南語を話したら、罰金を払うことだけでなく、侮辱的な処罰をうけることもあった。そのせいで、台湾閩南語やそれを話せる人は差別され、時間を経つに連れて、徐々に台湾閩南語は下品なイメージに変わった。

 当時、確かに台湾の「国語」というのは北京語を基づいた言語ではあったが、国民党政府の要員は殆どが中国の南方出身だったので、実は中国の江蘇、浙江、廣東などの人が多かった。よって、実は本場の北京語とは少し違っていた。その時期、台湾の公用語は第二回の変化を経過した。その上、台湾国民党と中国共産党は対抗していたので、両側の中国語も徐々に違ってき、話す表現だけではなく、文字の書き方も違ってきた。

 日本政府と国民党政府の国語政策の目的はほぼ同じだったが、効果と影響は違った。1945年まで、半分以上の台湾人は日本語が話せるようになったが、生活の場は主に台湾閩南語で話していた。一方、国民党の政策はより酷かったので、台湾閩南語が話せる人はのちに減少していった。

5、1972年後の台湾に対する日本文化の影響

1972年、日本は台湾の中華民国との国交を断絶し、そのため、日本の文化は海賊版のドラマや音楽によってもう一度台湾の社会で流行り、今でもその影響続いている。よって、1945年後に生まれた台湾人たちは、日本の教育を受けたことがなかったけれど、同じぐらい日本文化に恵まれていた。

現代中国の語彙は、もともと日本語から輸入された言葉がたくさんある。どうしてかというと、明治維新以降、その時の中国も日本と同じように文明開化すべきだと思う志士たちは日本の近代化に憧れていたからだ。よって、現代中国語(中国北京語や台湾華語)の語彙と日本語は非常に似っている。そして1945年後、国民党政府の国語運動を通して、台湾の公用語は華語に変わった。ですから、1972年後、日本語の語彙は、台湾華語で発音され、て使う場合が多くなった。

6、現代台湾華語の特徴と変化

❶昔の台湾閩南語が語源になり、文や言葉はそのまま台湾華語で発音されている

台湾語由来の語彙を多用する。台湾語のままで発音するものもあれば、漢字の北京語音で発音するものもある。例:古早(台湾語:kó͘-chá、昔の)、鴨霸(台湾語:ah-pà、横暴な、理不尽な)、吐槽(台湾語:thuh-chhàu、愚痴る)

❷大量の日本語からの外来語が使われている

日本統治時代から沢山の日本語の語彙が台湾に伝えられた。最初は日本語の発音のままや台湾閩南語で発音していたが、1945年後、殆ど台湾華語で発音しながら使われている。そして、更に日本らしくするために、話し言葉としてだけでなく、日常生活の書き言葉でもよく見られる。

「無料」、「激安」、「必勝」 、「宅急便」、「達人」、「鐵人」、「素人」、「女優」、「宅配」、「壽司」、「痴漢」、「援助交際」、「爆走族」、「寫真」、「中出」、「顏射」、「素顏」、「玄關」。

台湾語の単語を織り交ぜて使用する事がある。そして「おばさん」の台湾語は「歐巴桑(ōu ba sāng)」。さらには、日本人みたいに英単語を混ぜて話すこともある。「我不在意。」 (私は気にしないです。) が 「我不 care。」 と言ったり、主に若者の間で使われる。

❸はっきりしないで、発音方法をし、舌をない台湾人の独特な台湾弁

現代台湾華語で一番よく言われている特徴ははっきりしない発音である。違いが分かる有名な例を挙げると、「(食べて)おいしい」という意味の「好吃 (hǎo chī)」。カタカナで表現したときに「ハオチー」と書かれることもあれば「ハオツー」と書かれることもあります。そして、「ㄓ(zhi)」「ㄔ(chi)」「ㄗ(zi)」「ㄘ(ci)」 、「ㄢ(an)」「ㄤ(ang)」、「ㄌ(le)」「ㄋ(ne)」という四つの子音ベーアは曖昧に発音されている。

例えば、「這‧樣‧子」の「這樣」の発音は一つになり、「醬‧子」や「醬」になった。「然(ㄖㄢˊ)後」は「然(ㄖㄤˊ)後」になり。 「不(ㄅㄨˊ)要(ㄧㄠˋ)」は「ㄅㄧㄠˋ(びぃあう)」になった。

台湾中国語は抑揚が少ないのも特徴的。中国では4つの声調をはっきりつけて話すのに対し、台湾では比較的音が平坦に聞こえることがある。 「台湾中国語は中国大陸のそれよりも柔らかく聞こえる」とよく言われるのもこのためです。

❹閩南語や日本語と似ている文の形と特別な「有」、「給」の使い方。

日本語には、「~たことがある」というのはあるした経験を表す文型である。台湾閩南語と台湾華語にも、同じ表現がある。さらに、日本語にはある動作をする時、「~てあげる」という表現は、現代台湾華語にもあり、公式的な話し方と言っても過言ではない。

「給」と「有」の文型の例:

例1:

  1. 我等一下 給 你  打電話            (標準普通話) 

  2. 我等一下      打電話   給   你(中國南方普通話及台灣華語)         (電話して)(あげる)

例2:

  1. 我     看過 這部電影(標準普通話) 

  2. 我    看過 這部電影(台灣華語) (ある)(見た)

❺語気助詞は多い、別々に表示できる意味も多い

現代台湾華語には、日本語と同じで色々な語気助詞が存在する。発音は違うけれど、使い方と意味は似ている。その上、一つの助詞だけ使えば、お互いに理解できることもある。

囉(Lō)、喔(ō)、唷(yo)、吧(ba)、呢(Ne)、ㄟ(e)、蛤(há)、嘛(ma)、嗎(ma)、啊(a)、耶(yé)

❻台湾華語と中国北京語の単語や表現の違い

普通、中国語の「謝謝(ありがとう)」とと言われたときの反応は、中国や中国語の教科書では「不客气 (ブークーチー/bú kè qì)」とされていることが多いが、 台湾で最も一般的な返しは「不會(ブーフゥェイ/bú huì)」である。一説によると、これが台湾閩南語に影響を受けたという。どうしてかというと、台湾閩南語で中国語の「不客氣」と同じ意味の単語は「袂(bē)」だからだ。

7、結論

台湾の歴史が始まって以来、色々な民族がこの島に住んでいた経緯があったゆえ、使っている言語は変わりつつあり、独特の表現や違う文化が生まれた。よって、台湾華語は中国語に基づいて変化していったが、中国語と同じとは言い切れない。それより、もっと日本語による影響が多かったと思う。特に語彙の意味と発音、文型の形など、日本語と似ている。恐らく、それも一つの原因で、台湾人は他の国の人より、より早く日本語を習得しやすいとされている。

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